備忘録

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大震災2

これは震災以来ずっと根に持っていることなので書いてみます。特定の人物を完全に否定しているので興味のない方はスルーして下さい。












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  1. 2015/02/11(水) 10:33:55|
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依存症?

ふと思い出したので忘れないうちに。
高校2年生の同じクラスにおもしろいやつがいた。無類のパチンコ好きで通学路沿線の店の情報をよく知っていた。

どこはいつ新装開店だ、どこはいつがよく出る日だとかほんとうだかウソだかわからない話しをよく聞かせてくれた。パチンコをしない自分には彼の話がおもしろかった。

電車を乗り継いで通学していたのでいつも教室に着くのは同じ時間。彼もだいたい同じ時間に着いていた。いつの頃からか登校直後に話すことが増えていた。いい加減なやつなのに登校時間はみんなより早めというのがおかしかった。

G(彼の渾名)が教室に入ってきて第一声
「なんじゃ、こんな時間になってもだ~れも来てへんのか~っ、このクラスしけとんの~(しけてるなあ)」

K「おいG、ここにおれらおるやないけ、めぇ~へん(見えない)んのんかこらっ。ここにおるわい」

G「そんなもんだれも知るかい、ほんましけたクラスやのお~」

といつもの挨拶が終わって

K「Gおまえいつもええかげんなことばっかりやってるのになんで学校くる時間そんな早いん?」

G「おそいん(電車)込むんじゃ、おれ込むん嫌いなんじゃっ」

K「ほな学校けえへんかったらええやんけ、家におったら込めへんでぇ(笑)」と混ぜっ返してみた。

G「親が高校は出とけいうから来きとるんじゃ、誰も好きで来てるんちゃうわっ」

K「そうか、そんでもおまえけっこう真面目やんけ」と執拗にかき混ぜた

G「やかましなあ~、学校なんか嫌いじゃあっ、来たってるだけなんじゃアホおっ」

K「でもGは赤点少ないやんけ」

G「おまえ、ええかげんにせえよ、たたきのめすぞ~そんなもん知るかあ~、あ~やめじゃやめじゃやめじゃ~」

この、たたきのめすぞ~と、やめじゃやめじゃやめじゃ~というのは彼の口癖。

しょっちゅうこういう会話をして始業時間になっていた。

ある日、1時間目が終わるころに「おいK、おれこれから○○の新装行くから聞かれたら昼から帰ってくる言うといてくれや~」と。

翻訳すると、これから学校を抜け出して○○というパチンコ屋の新装開店(だと出球がいいらしい)に間に合うように行く。先生になぜGがいないのかと聞かれたら○○にパチンコ打ちに行ったので午後になったら戻ると言っておいてくれ、と。

で担任の先生に聞かれた。「Nが2時間目からいてないなあ、どうしたか誰か知ってるか?」

K「せんせ~、G○○の新装(開店に)行く(と)いうて(言って)出ていきよったで、昼から帰ってくるって」

担任「またか、なにをやってるんやあいつは(苦笑)」いつものことなので担任も慣れっこになっていた。

それが5時間目が終わるころ聖徳太子さん(一万円札)2枚もって教室に帰ってきた。

K「G、帰ってきたんか~」

N「帰ってくる言うてたやろ、ほれ、見てみい~、ええやろ~」

K「うわ~っGそれなんやねんな~」

N「きまってるやんけ、マンサツ(一万円札)じゃ~、ほれほれほれ~」と一万円札を振ってみせる。(下品極まりない)

担任「N(Gの本名)、勝手に学校抜け出したらあかんやないか~」(まあ一応は注意した)

G「せんせ~、新装やで、ほらこれ見てみ、ほれほれ~」とまた一万円札を見せびらかす。

だれか「せんせ~Gほっときや(相手にしなくていい)こいつ正味のアホやから」

G「どうじゃおまえらもほしいか、今日は大当たりじゃ~、ええやろ~っ」

天然でおもしろいやつだった。攻撃的だったけどどういうわけかウマがあったので仲がよかった。

3年生でクラスが別々になったけれどあいつはすんなり卒業した。むちゃくちゃな素行の割にはいいところがあったので見かけによらずええやつやなあと思っていた。

20才になった年の夏に宗教の勧誘のために彼から電話があった。一年以上経ってから彼のお母さんから自宅に電話が入ったらしい。

自宅を離れていたので母が対応しあわててて電話をかけてきた。N君のお母さんから電話があって家を飛び出して半年以上行方がわからなくなっているけど、消息を知らないかって、自宅に電話かけて知ってることあったら話してあげて。

あの時以来音沙汰ないからなあ、まあかけるわ。それが知っている全てだったので母に言ったことを繰り返した。
  1. 2014/11/08(土) 10:15:44|
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バッタの大群?

ふと思い出した話し。バブル景気華やかかりしころ近所のテナントビルには入れ替わり立ち替わり飲食店ができた。儲かるからなのか?バイキング形式のお店が多かった、一人○○円で食べ放題というやつ。

ある年の忘年会をそのお店でやるという話しになった。みんなよく体を動かしていたので食事の量は半端じゃない。なるほど食べ放題ならいいなと納得。当日、お店を貸しきりにして「店の冷蔵庫が空になるまで食べるぞ」なんていいながら食べた食べた(笑)

あの日、お店は損をしたんじゃないかと今でも思ってる。出てる料理はすぐになくなって、どんどん出てくる、でもすぐになくなる。

その少し前に友達と(一般客として)食べに行ったときとは食事の消費速度が明らかに違う。もう、食べられませんというところまでみんな食べて、お開き。

数ヶ月してそのお店は閉店した。味も品物もよかったのになんで潰れたんだろうと話していたら一人が「忘年会でおれらが食べ過ぎたから店倒産したんやで」と。実際にはそんなことあるわけないんだけど、その言葉に納得するほど食べたのはまちがいない。

彼はその中でも群を抜いた大食漢だった。よくあったのは練習のあとに中華料理へ。ラーメン大盛り、餃子二人前、焼きめし大盛り、唐揚げ二人前。これを食べてからいつもの喫茶店へ。

メニューを見ていると彼は「おいK、腹へってないか?カレー食べへんか?」。「おまえ頭大丈夫か?今食べたとこやないか?もう忘れたんか?」「覚えてるけど、腹へってるねん」こんなのが普通でした。

もう一人、元陸上の選手だったOさん。某餃子チェーン店で30分以内?だったかな?に10人前食べるとただというのがあって、挑戦した。

「大将、10人前挑戦するで。ほなまずビールちょうだい
「兄ちゃん、ビール飲んでから10人前なんか無理やで、やめときや」
「かめへんかめへん、ビールと餃子ちょうだいよ」であっさり完食。

空が曇るほどのバッタの大群が通ったあとはきれいに草がなくなる。まさにあの忘年会はそんな集まりだった。残っていたのは少しの野菜だけだった。草を食べないバッタの大群がお店を潰した?
  1. 2014/09/27(土) 06:51:05|
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人柄と運不運

学生時代にお世話になったA先生が1985年の墜落した日航機を直前にキャンセルして生還されたという話を随分後になって聞かせてもらった。

当日、大阪へ戻る直前に偶然知人に遭って「夕食行きましょうよ」と誘われて飛行機をキャンセルして食事に行かれたという話。

携帯電話のない時代なので連絡の付かない状態で(呑気に)夕食。同じころ大阪の自宅ではニュースを見たご家族が騒然としていたと。

間違いじゃないのかと思うものの帰宅するはずの時間を過ぎてもなんの連絡もなし。こりゃ事故に巻き込まれたなとご家族は諦め気分に。

そこへなにも知らないご本人から電話が入って「帰り道で偶然○○さんと遭っていままで食事をしてたんで明日朝の便で帰るから」と。ご家族一同脱力。

もともとこの話には尾ひれがあって、この話を教えてくれた友人によるとA先生は人がよいから飛行機をキャンセルしてでも友人との食事の時間を取った。別の「B先生ならそんなときでも、私帰ります」と言うだろうなという、まあB先生への悪口の一部として聞かせてもらった。

もちろん事故でお亡くなりになった方を悪く言うのではないので誤解のないようにお願いします。あくまでも人のよいA先生はその人徳で救われたけれど、B先生なら運は味方してくれなかっただろうという比喩の話し。

その後のお二人の人生ははっきりと明暗を分けた。A先生は退職後も請われて別の職場に再就職された。風の便りくらいにはそちらでの御活躍が聞こえてきた。一方のB先生は退職後はあたかも消え失せたかのように全く消息がわからなくなった

自宅におじゃましたこともあったのでその気になれば消息を知ることができたし、当時の私の自宅は同じ市内だったので近所を通ることもあった。でも立ち寄る気にはならなかった。

第一線を退いて地位も権力もなにもない一人の個人になったとき、その人への本当の評価が下されるんだということがよくわかった。いま思うと人の寄りつかなくなったB先生も少しお気の毒だとは思うけれど、やはり自業自得だという気がする。
  1. 2014/08/20(水) 10:37:21|
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日常がコントな人

毎週土曜日、学校が終わって帰宅してうどんかラーメンを食べながらオチのわかっている吉本新喜劇を飽きずに見る。これが同級生の間でよくあった生活パターンだった。

次ぎに来るものがわかってる、ほらほら、そこで八ちゃん(岡八郎さん)くっさ~、えげつな~やろ。ワンテンポあとにいつものように岡八郎さんが、くっさ~~、えげつな~~。オチを先読みしていたのに大笑いする。

テッチャン(原哲男さん)はよ、誰がカバやねん!いってえや。そんなことを考えているうちにテレビに釘付けになってしまう。こうやって大阪の出来の悪い小学生は笑いの感覚を身につけていった。

こういうのは役者さんが演じる芝居の中のことだから笑える。これを日常の中でやってくれると笑えないこともある。

善人がヤクザに追われて食堂に逃げ込んでくるお決まりのコントシーンがある。掃除用具入れのようなところに隠れさせてもらう。後から追ってきたヤクザが店の中に連中に尋ねる。

やくざ「ここに若い二人連れが来たやろ隠さんと正直に出さんかいっ」

きょうやん(花紀京さん)「そんなもんだれもきてないわっ!」

やくざ「ほんなら捜さしてもらうで」

きょうやん「どこでも捜さんかい!ただしここだけは捜すなよ~
と2人の隠れた前に仁王立ちになる。そこでばれるというオチ。

7,8年前にこの職場であった話。「映像の違法ダウンロードはしないように」というメールが全員に回ってきた。次ぎに建物内の全員宛に同様のメールが入った。

みんな気にもしていなかった。(後に聞いた話しだと)うちにいたインド人の見習い(のちに辞めていただいた)が近くにいた女に子に「○○、おまえ違法ダウンロードしてないか?おれはやってないけどな」と。

彼女はムッとして「やってるわけないでしょ!」でもそのインド人がやってることを知ってたので内心大笑い。あとでそれを聞いた周りも大爆笑。

別の時、またまた同じインド人。物置のような部屋があってそこの鍵のかけ忘れ。私は前日にはそのインド人が使ったことを知っていたけれど全員に向けて「鍵のかけ忘れには気をつけましょう」とメール。

しばらくするとそのインド人がやってきて「おれはやってない」って。「あっそう、おれは別におまえだって言ってないけど。全員にメール送ったんだけど」これもあとで大爆笑。

知ってたのをわざわざ知らん顔してたのに自分から名乗り出るって、ほんものの阿呆。それから数ヶ月後にお引き取りいただいた。とても危なくて仕事なんかさせられなかった。周りの人たちにもこの子の問題行動は不愉快極まりなかった。

その後、彼が使っていたPCの掃除をしていたらインターネットに接続できない。そういやネットがつながらないとか言ってたよな。

サーバー管理者にその旨伝えたら「そのPCはウイルスをばらまいているのでインターネットに接続できないようにこちらからブロックしてあります。」

極めつけは例の違法ダウンロード、PCの中になんのパスワードも掛けずに40GBの映像を保管していた。出ていくときに消すのを忘れていた。これを知ってまたまた大爆笑。でも実際にはこのインド人関係では笑えない話の方が圧倒的に多かった。
  1. 2014/07/17(木) 08:16:51|
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かい~の

大学生のころ同級生でお笑い好きなやつがいた。今で言うオタクなノリのお笑い談義によく花が咲いた。

あるとき実験室でいつものお笑い談義をやっていたときのこと。カンペ~ちゃん(間寛平さん)のギャグ、かい~の、の話しになった。

たまたままわりには他に人がいなかったので相方に「かい~の」の角度について実演して見せた。

「この角度で、かい~~の、こっちに動いて、かい~の」「ここの角度が大切やから」とかどうでもいいバカな話しをやって二人で大受けしていた。

しばらくしてから、となりの研究室の女の子が「Kくんまた(お笑い)やってたでしょ。T先生の部屋で(4人で)打ち合わせしてたときに(かい~の、が聞こえて)T先生が”またK変なことやってるで~大丈夫か~、あいつおかしな(変な)やつっちゃなあ~”って笑ってはったよ」と。

おまえらみんなおるんやったらただで聞かずに料金払うか、おるといってくれよ~。恥ずかしくてT先生の講義に顔出せないやんか。
  1. 2014/07/16(水) 01:01:33|
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殺人事件(笑い?)

シアトルにいたころにダウンタウンから南東方向の一角で拳銃を使った殺人事件があった。警察がその聞き込みに回った時の実話。

「その先で殺人があったんですが銃声を聞きませんでしたか?」
「銃声?聞いたよ」
「いつですか?」
銃声なんかしょっちゅうだから一々覚えてないよ

大体こんなやりとりだったそうです。そのエリアは非常に治安の悪い地域なので発砲がしょっちゅうあるとのこと。大都市にある治安の悪い地区はシャレにならないところが多い。

ここは田舎町なのでスラムはないけれど一箇所だけアパートメント(日本で言うマンション)で「危ない」ところがあります。何度か入ったことがあるけれど確かに濃い。雰囲気が全然違う。

うわさではその中では薬物、銃器、殺人までいろいろあるそうです。銃を誰でも持てるアメリカはやはり危険な国です。

  1. 2014/07/04(金) 14:34:14|
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寿司を注文するアメリカ人

日本の寿司やさんにアメリカ人を連れて行ったときの話し。彼は東海岸の上の方の出身で身近にアジア人がおり子供のころからお箸が持てたらしい。

同じ職場で働いていたのでときどき食事につれて行ったりしていた。生魚の寿司も大丈夫ということなので魚市場にあるすし屋さんに連れて行った。彼は見るからに外国人だから店にはいるとまず他のお客さんが驚いた顔をする。

最初は注文の仕方がわからないのでこっちがかわりに注文していた。しばらくすると慣れてきた。「ハマチお願いします」なんてやり始めた。どこから見ても金髪で白人にしか見えない兄ちゃんが、マグロ、ハマチという。となりにいたオッサンは「???」という顔をしていたけれど、なにも言えない。

彼の言語習得能力は非常に高くて一年もすると普通の会話は全く困らない程度にできるようになった。外国人特有の「アノ~チョトスミマセン」という訛りはほとんどなくゆっくり話すと外国人とはわからないほどだった。

その彼が田舎町でバスに乗ったときの話し「○○に行きたいので着いたら教えて下さい」と目的地を運転手さんに言ったらしい。

ところが運転手さんは「???」。また同じことを言う「???」。最終的に目的地で降りることができたんだけど彼の話す言葉を聞く前に容姿を見て「日本語が口から出るはずがない」と確信していたようだ

職場ではみんな彼との会話はほとんど日本語でやっていたので通じないはずがない。15年ほど前の話しだけど日本人の外国人に対する免疫の無さはいまもそんなに変わっていないんじゃないかな。
  1. 2014/06/21(土) 01:23:02|
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運動会

この時期に運動会をする学校増えてるんですね。古い話を思い出したので一つだけ。

子供のうちで長男だけが日本の運動会の経験があってあとの二人は「運動会」と言われても???

長男が年少の時の運動会が最初で最後の運動会。かけっこが速い。よーいどん、でまん中を過ぎたころには先頭を独走。

ところが、かけっこは速い方がよいということを知らなかったので、気になって立ち止まって後ろを向いて他の子を待っている。こちらは外から、走れ~走れ~と大騒ぎ。結局一人に追い越されて2着。

少し前その話しをしたら反抗期真っ最中の長男が大受けした。クソガキにも可愛いときがあったんだけどなあ。
  1. 2014/06/03(火) 04:39:06|
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大事件

よくおじゃまさせていただいているブログでずいぶん古い「凶悪犯」のことについて書いておられたので、思い出したことを少しだけ。

ちょうど中学生のころのこと、三菱銀行北畠支店猟銃強盗事件というのが発生した。事件の詳細は検索していただくとよくわかります。凄惨な事件で多くの方が犠牲になりました。犠牲者報道は聞くに堪えない気の毒なものでした。

立てこもり事件は「まあ半日もしたら逮捕されてるよな」と思いながら、次の朝起き抜けにテレビをつけるとまだ中継している。学校から帰宅してもまだやっている。最終的には警官の発砲により犯人は死亡。

その犯人が当時の自宅の近所に住んでいたということを事件直後に報道で知って驚いた。学校帰りに報道陣のいる犯人の自宅へ野次馬よろしく見物に行った。なんでもないマンションの一室(ドアを見ただけ)。

それから10年近く経ってから、ひょんなことから通うようになった飲み屋さん(というのか料理屋さん?)で犯人の話しを聞くことになった。

そのお店のマスターは当時40代半ばで見るからに温厚そうな人で話題の絶えない人だった。誰からかその犯人の話題になった。「ちょくちょくうちに来てましたよ。銃に興味があっていろいろ質問してましたよ」こっちは、椅子から落ちるほどびっくりした。

マスターは銃猟の盛んな地域の出身で当時もときどき実家に戻って猟をしていたとのこと。当然ながら何丁かの猟銃を所持していた。そこへ例の犯人が興味を持ったらしかった。

マスターいわく、あんな無茶やるようには見えなかったけど銃に対する執着みたいなのはすごく強かった、とのこと。

ちなみにあの年は強盗報道がものすごく増えた。それは発生件数が増えたのか報道件数が増えたのかはわからない、でもこんなに毎日強盗事件が発生してるのか!と思うほど多かった記憶がある。
  1. 2014/05/13(火) 08:51:28|
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U-pick

U-pickというのはYou-pickの略でYou=あなた、pick=とる、から「自分で採る」という意味で使っています。

シアトルにいたころには6月から9月にかけてはほとんど毎週末外に出ていました。「ちょっとそこまで」でもいいところがたくさんありました。

その一つがチェリーのU-pick。シアトルから東へ3時間ほどのところにあるウェナッチーというリンゴの産地として有名なところ。これはレーニアチェリーという品種。
チェリー1

これは別の品種(名前わからない)
チェリー2

脚立も貸してもらえるので高いところも大丈夫。
チェリー3

このチェリー屋さん特に商売で頑張ってやっているわけでもなさそうなので看板も案内標識もなにもない。住所地まで行くと「どうもここらしい」とわかったというくらい。それくらい商売っ気がないので2,3キロ採っても$10もかからなかった。地元のスーパーで買うといい値段が付いている。

この他にもイチゴ、ブルーベリーなどもこういうのがあるので夏はお金を掛けずに楽しめるのでいい。シアトル市内だと近所の公園にチェリ-やリンゴがなっていたり、道ばたにブラックベリーがたくさんありました。植え込みのイチゴはきれいなものでした。
  1. 2014/05/09(金) 13:55:21|
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高校卒業後

高校を卒業して1年くらいしたころの同窓会。集合場所の一つ手前の地下鉄の駅には同級生が勤務していた。

改札口にて、「S、もう時間やぞこんなところでなにしてるねんな、はよ行こうぜ」

「今日は夜勤だから、おれはパス、みんなによろしく言っといてよ」

「高校みたいにチョンボ(中抜け)してこいよ」

「アホ、チョンボなんかできるかいな、こんなところで管巻かんといてくれよ、お客さんに投書されたらおれクビになってしまうわ」

おれらもお客さんじゃ、ほなまたあとでくるからな」とひとまずは退散。

ひさびさに大バカ野郎が集合したので、飲めないお酒を景気よく飲んだ。2次会でも元気全開、阿呆丸出し。で、お開きになったころから本格的に酔いが回り始めた。駅に向かう地下道ではもうフラフラ。

電車に乗ったとたんに気持ちが悪くなり出して次の駅で降りた。トイレに間に合わず灰皿に戻した。同じく酔っぱらったのが何人かいた。

「今日Sが勤務してるぞ、あそこ行って休ませてもらおうや」ということで仕事中の駅務室に(乱入)。

「こらこら、おまえらここはあかんやないか、勤務時間中や用のない人は入ったらあかんのやここは」

「なにいうてるねんな、気分悪いんや、休むという用があるんや、ちょっと休ませてくれや」

で駅務室のソファを占領。ボンヤリ覚えてるのは他の駅員さん達がおもいっきり迷惑そうな顔をしていた。

少し落ち着いて、千鳥足になりながら「Sありがとうな、みなさんどうもありがとうございました」と帰路についた。

  1. 2014/05/03(土) 08:14:28|
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ファン

わたしはデビュー当時からの早見優さんのファンです。当時彼女はいろいろな広告に出ていて駅や電車、自動販売機にもポスターがあった。

自販機は早朝、駅は深夜にポスターをはがしに行った。見かけたポスターはほとんど拝借。駅で拝借してたら駅員さんに追いかけられたこともあった。

一つだけ手に入れ損ねたのは大阪市交通局のポスター。通学に使っていた地下鉄の車内吊り、壁のはめ込み広告、ぜんぶ早見優ちゃんだった。じゃあ近いうちにと思っいたら一枚もなくなっていた。

コピーだけは今も覚えてる「バスでおいでよ、近いから」
  1. 2014/05/01(木) 10:06:18|
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スズキ

いつもの波戸にはスズキ釣りのグループのいたんだけれど、どういうことか全く興味がなかった。その波戸ではチヌか冬のカレイだけだった。スズキを食べるという考えなんかぜんぜんなかった。

ボーズで上がって(戻ってきて)、渡船屋の事務所でしゃべってたとき、みせのお母ちゃんが「その冷蔵庫のスズキ持って帰りいや」「誰が?」「にいちゃん、あんたや」「そんなもん持って帰ってなにすんねんな」「食べるんやんか、おいしいで」「そんなもん誰が食べるねんな、おかんむちゃくちゃ言うたらあかんで(笑)」「あのなあ、騙された(と)思て食べてみ、ねえちゃん(嫁のこと)に料理してもらい」・・・

で食べたらこれがうまかった。大発見だった。
  1. 2014/04/05(土) 07:46:27|
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釣り

日本にいたころは大阪湾が本拠地で2月以外は釣りに行ってた。

チヌ釣りは同じ渡船屋さんなんで渡船料なんかほとんどあってないようなもの。夏場に食いの悪いときは坊主覚悟で行くので、せっかくなんでアジでも持って帰れたらとアミエビも持っていった。

いつもの船頭のおやじが「それなんやねん」「アミ(アミエビ)やんけ」「おまえチヌ釣りに来てアジ釣って帰ろ思てんのんけ、そんなん邪道じゃ、あくかよ(ダメだな)(笑)」「そやけど、ボーズよりええやろ」

邪道と言われてもアジ、さば、鰯のアジにはかなわない。
  1. 2014/04/05(土) 07:34:58|
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刀の家

母方の祖父が刀剣趣味があっていくつかの刀を持っていた。祖父が亡くなったときに形見分けとしてうちにも小さいのが来た。

とは言ってもそういう趣味がないのでただ放置してもよくないということで刀剣趣味のあった伯父に預けっぱなしになっていた。祖父はかなり貧乏をしていたので、まあ刀持ってたという程度の趣味だろうと思っていた。

一つの刀に土佐の守なんとかと刻印のある短い(40cmくらい)のがあった。伯父は四国だと思い四国のテレビ局に頼んでもとの持ち主を捜した。でも見つからなかった。

それから15年ほど経って、伯父が当時住んでいた名古屋にある熱田神宮で刀剣の集まりにふらっと参加したらしい。で事情を話して専門家に見てもらったら、なんと刀の素性がわかった。しかも最初の持ち主まで。

なんという偶然か。で、その刀は荒木田氏という(下の名前はここにないので忘れた)当時の伊勢神宮の長官(従二位)が子供の守り刀として作ったものだった。刀自体もそこそこよい作りのものらしい。その守り刀を作ってもらった子供さんも後に伊勢神宮の長官になったそうだ。

今昔物語集を繰ると載ってる名前。なんという刀があったのかと親族一同驚いた。

そのときの伯父の判断が素晴らしかった。もともとの持ち主のところへ帰るのが刀にもいいと思うので熱田神宮(皇室の刀の神社)に奉納するよ、と。親戚も賛成した。

で熱田神宮で奉納の儀式とお礼のお膳をいただいた。いつも参拝する柵の外側じゃなく、中に入れてもらって御祓いをしてもらった。そのあと別の建物に入って昼食のお膳をいただいた。

あんなに探しても見つからなかったのに、伯父が長年住んでいたすぐ近所に答えがあったっとは全く驚きだった。熱田神宮にはその後行く機会がなかったが宝物館に展示されているはず。

貧乏していた祖父がどこでどうやってあんなものを手に入れたのかはわからない。でも刀がもとのすみかに戻るようになっていたというのは不思議な感じがする。
  1. 2014/03/26(水) 05:39:07|
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ばかやろう

思い出すと昔のバカな話しを書きたくなる。少しまじめに書くと、覚えている間にどこかに記録しておきたいという気持ちが強い。

  世の中には一定数どうしようもないバカヤロウがいる。そういうのが集まっている高校がどこにでもある。類は友を呼ぶとはまさにこのことで、うちの高校のまわりをよくバカヤロウがバイクでブイブイ挑発に来た。授業中は窓からものを投げたり怒鳴るくらいのことしかできない。向こうもそれを知っていてからかいに来る。

でもその上手を行く阿呆がいた。授業中にブイブイやって、そのまま放課後までブイブイ。当然ながら黙っていないのがたくさんいる。下級生が出ていって連中を袋だたきにした。

大笑いなのは数人を5,6人で捕まえたら「仲間呼んでくるから待ってろよ!」と言って逃げればいいものをバカ正直に5,6人連れて戻ってきた。こちらは30人くらいでお待ちかね。

次の日、「あいつらほんまのアホやな」と校内では大受け。
  1. 2014/03/06(木) 07:45:54|
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おまわりさんも

思い出したのでもう一つ。高校3年の時にいつもの炉端焼きで飲んで出来上がってから酔いさましに近くの公園に行った。そこで警官に捕まった。

酔っぱらっていてほとんど覚えていなかったので意識のはっきりしていた連中から後日聞いた話し。

一人が持っていたタバコが警官に見つかった。ポケットを検査されたらしい(当時はありだった?仲間内ではポッ検と呼んでいた)。「これなにや?きみ高校生やろまた20になってないんやからタバコあかんやんか」

そのときの応接がふるっていた。「おまわりさんも18才ぐらいのころにはもう吸うてはったでしょ、見逃して下さいよ。」なんという臨機応変な対応。

最終的には全員連絡先を聞かれて説教されて放免となった。次の日は学校に連絡が入っているものと思っていたので、先に担任の先生に「昨日○○で打ち上げやってから××公園でポリに捕まった。」と報告。

先生「またそんなことやったんか、おまえら」
生徒「ポリなに言うてた?」
先生「聞いてへんで」
生徒「ほんまかいな、せんせ、正直に教えてえや、おれらみんなていがくやろ」
先生「いやほんまに警察から連絡入ってないって。また入ったら言うわ」

ということでその後お咎めなし。まあお咎めがあってもなかっても理由を見つけては飲みに行くのは変わらなかったと思う。

卒業式の2週間後に卒業記念に炉端焼きの2階を借りてその先生もいっしょにめちゃくちゃになるまで飲んだことがある。

もう阿鼻叫喚の世界。あのあとしばらくはお酒は飲みたくなかった。
  1. 2014/03/01(土) 06:14:48|
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同窓会

大阪で育つと他府県の人が、えっ!と思うようなところも日常の景色のひとつになってしまう。ときどき「あんなところ怖くないの?」と言われることも。

2011年にうまく日本での仕事ができて一時帰国。高校時代の悪友が全員集合して、どこかへ行くという計画を立ててくれた。昼ごろに新世界のスパワールドにいって昼食。夕方まで風呂の中をウロウロ。飲み食いしては湯に入るの繰り返し。

少し早めの夕飯は新世界で串カツ。高校時代には考えられなかった、新世界に人気の店があるって?おれら流行の波にのってるやんか。

いまでこそ新世界界隈に家族連れがウロウロしているけれど当時は若い女性や家族連れなんかの行く所じゃなかった。昔は単なる汚い掃きだめみたいなところだった。とにかく小便臭かった。

阿呆高校生がみんな小汚いオッサンになって、その小便臭い街に人気の串カツ屋があると聞いて、参上。「やっぱり大阪でもここら辺は落ち着くわ。」「これで店の前で立ち小便できたらええねんけどな」とはいわない年になっていました。
          串サソリ
写真はサソリの串。この他にコオロギもあったけどさすがに齧る気がしなかった。
そこでさんざん騒いで次は浪速警察の方向に抜けて、王将で遅い夕飯。そこでも一騒ぎして酔い覚ましに難波まで歩く。途中からよく覚えていない。

難波駅前でお開きかと思いきや、あそこの2階、あの提灯のところ、安いし結構いけるねん、と言い出した。で、そのまま階段に吸い込まれてお2階へ。

そこで夜食、なかなかいける。完全に頭の中が空っぽになったころにやっとお開き。やってることは高校時代から進歩なし。違いは20才を過ぎているので飲酒喫煙が堂々とできることと当時よりは少しくらいお金を持っている道のまん中で立ち小便しなくなった、酔って暴れなくなった

このパターンはおきまりコースで高校時代には、近所の銭湯から駅前の炉端焼きに行って、たまり場の友人宅に転がり込んで朝まで酒盛りしてそのまま学校へ。

酒臭い息を吐きながら教室にいると、別の悪友が突然手を挙げて「先生!○○君と××君からお酒みたいな臭いがします!顔も赤いです、停学にしましょう!」。先生は一言「またか○○,××」でおしまい。

この場面はコントそのもの、日ごろ「先生!」なんて言って手を挙げるなんてことも丁寧な言葉遣いもなかったから。

「せえ~、ちょ~、これこれ」(先生、ちょっと、これみて下さい。)か「ちょ~、ちょ~」と手招きする(文字で書くとバカにしか見えないけれど、これを大阪アクセントで言うと阿呆高校生らしく聞こえる)。

あの頃はまだ世の中もおおらかだったのか高校生と名乗って堂々と飲酒喫煙しても大丈夫だった。騒いでいると「兄ちゃんら高校生か?」「そや、○○高や」。ちょっと顔が売れた気がして得意になっていたただのバカ

顔なじみの大将は、今日はなによ?体育祭の打ち上げや、とか。店の大将といっしょに撮った写真もあった。いまなら未成年に飲酒させたと刑事罰に問われる証拠になる。まあ当時の大阪の底辺高校生のお手本。

当時のおきまりのコースをこの年になってちょっとだけ豪華版で再現とはなかなか気が利いている。いまのぼくにはこういうのが一番の贅沢。
  1. 2014/03/01(土) 05:48:41|
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仮装

2004年のハロウィーン。近所のスーパが店内で子供向けイベントを開催してくれたので行った時のこと。あちこちから人が集まってくる。店の前に出たらこの人がいたので撮らせてもらった。

この服装は留置場?で着るもの。近所の裁判所でこんな服装で連れてこられる被告を見かけることがある。子供を医者に連れて行ったとき保安官に連れられてこの格好の囚人?被告?が診察を受けに来ていた。腕のところに大きな字で○○郡留置場、と書いてあった、その格好で待合いで待っているので、晒し者状態だった。
     GWBush.jpg
シアトルはリベラル?なので当時の政権に批判的な人がたくさんいた。イラクに侵攻したときはDo Not Enterと書いてある進入禁止の交通標識にIraqと落書きされたのをあちこちで見た。その発想には大笑いした。
でも最近ワシントン州がマリファナを合法としたのには賛成できない、全く困ったものだ。
  1. 2014/01/11(土) 02:04:37|
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