備忘録

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キャンセル??

明日は子供が中学でやっているフットボールの最終戦。9月から同じエリア、といっても遠い学校は100km以上離れている、の学校と週一回のペースで試合をやってきた。

優勝を決めるようなものではなく、あくまでも練習のためなので同じ学校と何度も当たることもあった。明日の相手は今期3回目でしかも前2回は勝っている。

ところが明日はHalloweenに行きたいからという理由で試合放棄。しかも当該の市教委はなんの対応もしないと。わざわざ負けるために片道一時間も移動するのが嫌になったということだろうか?

日本の中学や高校のような「公式戦」ではないけれど事前に予定も決まっており、公立学校の行事として正式に認められた試合。

はっきり言うとその程度の民度のコーチとそれをなんとも思わない親、それがおかしいと理解のできない教育委員会。恥ずかしながら田舎の民度の低い地域というのはこの程度のもの。

日本の高校野球が打算的だというのはよく知っている。でもここういうのに比べると彼らの方がずっと一生懸命やっている。こんな経験は初めてなので開いた口が塞がらない。
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  1. 2013/10/31(木) 09:58:43|
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盆と正月

頭の中にやっぱり引っかかってるのが例のくだらない裁判。それ以外にもこれでもかと言うほど連続して仕事がやってくる。

一つはとりあえず終わった。そうしているうちに予想もしなかったところからまた二つ入ってきた。-1+2=1だから増えてるもんなあ。

もともと処理速度が遅いので仕事が一時に重なると終われるんだろうかという不安が頭をよぎる。あれもこれもとなると精神衛生上よくない。とはいっても来るなとも言えないものばかりなのでやるしかない。それにしても今回は狙ったように入れ替わり立ち替わりやってくる。

自分自身の弱いところだけど、こうも仕事が立て込んでしまうともともとが落ちこぼれなのでそのころのできない自分というのが頭をもたげてくる。困ったもんで縁を切りたいけれどなかなか切れない。

いつまでもダラダラせずにサッサと仕事を済ませなさいという練習なのかとも思う。こういうマイナス思考が頭をよぎるとますます効率が下がる。どうにかこういう思考を追い出す方法がないものだろうか?
  1. 2013/10/31(木) 05:05:05|
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動物園

子供のクラスで理科の勉強のためにカエルとカニとヤスデを飼っていた。一ヶ月以上にわたって理科はその生物たちの観察だった。そろそろ終わるというころになって「この授業が終わったらほしい人はこの動物を家に持って帰ってもいいらしい」と先生から子供が聞いてきた。

ヤスデ、クモ、ヘビあたりは日本じゃ一般受けしないけれどアメリカじゃ平気な人が多い。こういう感覚の違いは大きいといつも感じる。

ヤスデなんか持って帰るのかなと思ったので、残ったらどうするの?と聞いてみたら「これはここに逃がしたら生態系を乱すので先生が冷凍庫に入れて殺す」と。

そんなバカな話しがあるかと思ったので「先生に、残った動物は全部うちで飼うから持って帰れるようにして下さい」と伝えるように言っておいた。子供には「生態系を乱すのは分かる、だからといって用が済んだから殺すなんていうのは論外だ」と繰り返し説明した。

これはアメリカ人の、よくない合理主義の現れなので、こういう考え方は間違っているということを子供達に説明した。科学技術が進んで月にいけるようになって、人の遺伝子配列が全て解読できた今でも最も原始的な生物さへ人間の手では作れない。無用な殺生をしてはいけないということを子供達には理解してほしい。

だめ押しで、こちらからも「引き取り手のない動物は全てうちで飼いたいのでお願いします」と入れておいた。

その動物たちがおとといと昨日に分けて到着した。カエル15匹くらい。カニ19匹。ヤスデは一番人気で数匹だけクラスで飼うことにしてそれ以外は子供が連れて帰ったらしい。だからうちにはこなかった。

カエルも数匹クラスで飼うことになったので残ったカエルと、カニが家に来た。数が多いのでいくつかの入れ物を準備して分散させて入れてある。念願のカニとカエルが来たので子供は大はしゃぎで眺めている。何カ所かに分けてあるので動物園状態でうちが急に賑やかになった。
  1. 2013/10/31(木) 03:18:28|
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早いな

鼻を垂らしてたころからずっとつき合いのある悪友がいる。高校も仲良く同じ学校で同じクラスにもなった。

中学入学の年のゴールデンウイーク明けに同じ学校の生徒が傷害事件で10人ほど補導されたと新聞に載った。ゴールデンウイーク中に近所の公園でよその中学の数人の生徒を10人ほどで袋だたきにした。木刀に鎖に自転車のチェーンまで振り回して骨折も含む大けがを負わせた。

同じ学校に悪いのがいるのは知っていたけれど入学直後にその記事を見て全くビビってしまった。それから何年か経って高校でその悪友と話していたときにその話題になった。

彼もその不良グループの1人として暴れていたらしい。それまで全く知らなかった。

地元では有名な新聞ネタになった1人だったと知って、驚くよりも有名人を見たような気になったのは私もかなりバカだったということの証だと思う。

あれゴールデンウイークやろ。いつ警察来たん?

休み明けたらすぐ。

来たときどんなこと考えた?

もう来たのか早いなあ、と思ったと。

警察が来て驚くというのはなかったらしい。本人はいずれお迎えが来るだろうとは考えていたらしい。それにしても警察のお迎えが予想以上に早かったらしい。

今になって考えれば捕まって当然なんだけど中学生のころにはそこまで知恵が回らなかった。事件のあった公園付近をウロウロする中学生といえば3,4校に絞られる。事件の数日前にうちの生徒が少人数でいて被害者たちに絡まれたらしい。その日は仕返しに行ったということ。

当時の常識で考えると、どこの学校か名乗ってるのは間違いない。うちの学校の生徒となればもうグループと中心になるメンバーは誰にでも分かる。警察が一人二人に事情を聞けば簡単に全員特定できる。

なにせ通り魔的犯罪やよそまで出張して行っての事件じゃないし、おまけに(当時の常識に照らせば)学校名は名乗っているわけだから捕まらない方がおかしい。

当時の悪ガキには偉そうに啖呵を切ったり、どこのもん(どこの学校か)をペラペラとしゃべるのがいた。のどかな時代だったと思う。

その時捕まったメンバーの半数以上は高校には進学しなかった。高校に進学した数人もその悪友をのぞいて中退してしまった。その悪友は高校に入ってからはぼくらよりもずっときまじめな高校生活を送っていた。

そのまま長じて彼はまわりの大抵の人から信頼される人物になった。限られた数人の古くからの悪友をのぞいて、この話を聞いても信じてくれない。若気の至りといっても想像できないほど現在の実像と隔たりがある、それくらいよくできた人物。

今になるとこちらが行き詰まったときに相談に乗ってもらうばかり。長い人生毎日の積み重ねやちょっとした気遣いが大きな差になることがよくわかる。
  1. 2013/10/30(水) 04:12:52|
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新聞

むかし仕事の都合で一年だけ○○島という島に住んだことがある。私みたいな都会ものにも親切にしてくれてあっという間の一年だった。当時お世話になった人とはいまも交流がある。

そこに引っ越してしばらくしたころのこと。地元でちょっとしたことがあってそれが新聞に載った。でも家に帰って隅から隅まで探しても載っていない。

よくよく聞いてみると地元の人が言う「新聞」というのは、ローカルの○○新聞のこと。うちはそこに来る前から購読していた大手紙をとっていたので話が合わなかった。

それまでに経験したことのないローカルな常識にだんだん慣れていって、離れるころにはかなり地元にとけ込んでいたと思う。その地域の雰囲気が膚に合っていたのですぐにとけ込むことができた。

職場関係の人がたまたまよかっただけのかもしれないけれど不愉快な思い出がない。もっと長く住めばいろいろなことを経験したのかもしれないけれどその後も地元の人たちとは良好な関係にある。

あの「新聞」は田舎のコミュニティーに引っ越してきたことを自覚させてくれた最初の出来事だった。
  1. 2013/10/30(水) 03:53:16|
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業務連絡

よく閲覧させていただいているブログでコメント欄も拍手もメールアドレスも全てなしの方があります。できればコメントさせていただきたいので何かの方法をご検討いただけませんか?よろしくお願いします。
  1. 2013/10/29(火) 06:09:38|
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おみやげ

若いころに悪友が集まって泳ぎに行った帰りのこと。

途中何回かトイレや食事のために休憩をとった。ぼくとKは旅行に行って誰かにおみやげを買うということをほとんどしなかった。他の何人かも職場にお菓子を買って帰るくらいだった。

お店の中を一回りして冷たいものを飲んでそろそろ車に戻ろうかというとき、Oが向かいの店から両手にそれぞれ複数の袋を持って出てきた。ぼくはそれを見て、OはえらくたくさんおみやげをかったんだなとKに一言。

お~いO、そろそろ車に戻ろうや。

そうか~、いや、おれまだおみやげ買ってないねん。

ぼくとKは腹筋がちぎれるほど笑った。

みんな手ぶらか袋一つなのにOだけ7,8袋持ってる、で、おみやげまだ買ってないはないやろ!おみやげで両手がふさがってるやないか!

彼はものすごくよく気が利くので、旅行に行くとあっちにもこっちにもおみやげを買って帰るらしい。聞いてみるとまだ職場の分と隣近所の分がまだだと。

それを聞いてぼくとKは駐車場にへたり込んで笑い転げてしまった。ところがOはいたって平気な顔をしていた。

この話を最近思い出してKに知らせたら、覚えていて大笑いしたらしい。でも当の本人であるOはきっとつゆほども覚えていないと思う。
  1. 2013/10/28(月) 09:48:12|
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サルの調教

いつだったか何人かで話していたときに露店の話しになった。衛生面の話しから露店からものを盗む泥棒の話しになった。

一番おかしかったのはインドで実際にある話。サルを調教して露店からものを盗ませる。サルはすばしっこいので簡単には捕まらないらしい。なるほどうまい手を考えたものだと感心しながら大笑いした。

調教されたサルが商売道具というのはうまく考えたものだと思う。サルでも人でももともとは悪さするために生まれてきたわけじゃない。たまたま泥棒に飼われていたというだけでサルが犯罪サルになった。理解できていないサルには気の毒な気がする。
  1. 2013/10/28(月) 09:31:11|
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混雑

ある中華料理チェーン店でのはなし。その日は満員御礼状態で店の中はまさにごった返していた。

Sはラーメンと餃子を注文した。

「え~っと、天津飯のお客様~~っ」

「あ~~お兄ちゃん、こっちこっち~」

もちろん支払いはラーメンと餃子だけ。
  1. 2013/10/28(月) 01:49:01|
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昆虫少年(つづき)

通っていた高校は公立の底辺校。昆虫学者になるために大学に行くなんていうのは考えられない学校だった。

別の機会に触れたいけれど、そこでの3年間の生活がぼくの人生を大きく変えた。当時の友達はずっとつき合いがある。文化も言葉も違う世界で生活していてへこんだ時は連中の言葉が一番いい薬になっている。

なんのためらいもなく勉強だけの生活を始めた。だからある時期に流行していた音楽がすっぽり抜けている。とにかく遅れを取り戻す以外に選択肢はなかった。当時の心境はできるかできないかじゃなく、できるかできるか、だった。できるまでやる以外に自分の中で選択肢はなかった。

中学の英語や数学の基礎が抜けていたら高校で履修する内容なんか全く理解ができない。だからよくできる中学生の通う塾に入れてもらって中学生に混じって勉強した。最初の4ヶ月くらいは、かなり頑張ったけれどなんの進歩もなかった。そこまで来るとさすがに予想以上に自分がバカだということに気がついた。でも後ろに下がる選択肢がなかったので続けるだけだった。

同級生たちがどんどん前に進んでいき取り残された気持ちが非常に強かった。でも取り残されているのは事実だし、追いつくためには勉強を続けるしかなかった。ここでやめればもっと置いてきぼりにされる。ブレーキもバックもない前進するだけの壊れた車状態だった。

努力の甲斐あってか高校二年になったころには出来はよくないけれど人並みの高校生程度にはなっていた。まだ昆虫学者になるという目標に変わりはなかった。

秋のころ大変な知らせがあった。子供のころからムシについて教えてもらい、目標としていた昆虫の先生が51才の若さでお亡くなりになった。急逝だからこちらとしてはいきなり頭を殴られたようなもので信じられなかった。

またお会いしていろいろとムシ談義をさせて頂きたいと思っていたし、そうなるのが当然だと思っていた。お亡くなりになったことで茫然自失となった。さらに先生は目の前の大きな目標だったので目標喪失に近い状態になってしまった。

最終的に昆虫少年は昆虫学者にはなれなかった。あれから随分時間が経った。ひょんなことからある大学の先生のウナギ捕りの手伝をしてくれないかと。

そこは特殊な環境でそこにいるウナギを調べるために捕まえるということだった。全く面識のない人の集まりだったけれど気にならなかった。子供のころから都会育ちのイナカモノだったので虫取り魚取りはお手の物なので喜んでお手伝いに行った。

そこにはいろんな人たちが手伝いに来ていた。その中の1人の方が虫取りのトラップを仕掛けて回っていた。

それなんですか?

トラップ。

オサムシですか?

そう、よくしってるな。

ぼくいちおう昆虫少年でしたから。なに入れてるんですか?

すしのこ、このお酢のはいったやつがよく効くんで使ってる。

でムシ談義をはじめてからぼくの昆虫少年としての出自を披露した。当然ながら小学校のころから立派な先生のご指導を受けて・・・と冗談交じりの自己紹介。

キミも日浦さんの弟子か(笑)こんなところで会えるとは。

はいそうです、日浦先生のことご存じですか。

ぼくも自称日浦勇の弟子や(笑)。ぼくらみたいな自称日浦勇の弟子というのが世の中には結構いてるんやで。

そうなんですか(笑)

それからぼくが知らなかった先生の若かりしころの論争の話しを聞かせてもらうことができた。

あれからまたかなりの時間が経った。先生がお亡くなりになってからなぜか一度も先生の書かれた本を開かなかった。市販されていない遺稿集も持っている、それさへさらっとめくっただけだった。

長い間、先生が急逝されたことや自分が昆虫以外の道に進んだこと、その他いろんな複雑な気持ちが整理できていなかったのだと思う。なにがあったというわけではないけれど自分の中のなにかが時効になったような気がしている。

数年前、帰国したときに手元にある本を持ってきた。持っていなかったものは買いそろえた。急に読みたくなった。今読んでも話しに吸い込まれる。

とっくに引退したはずの元昆虫少年はもしかするといまだに現役なのかという気もする。
  1. 2013/10/27(日) 01:10:03|
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昆虫少年

私は小学生のころは筋金入りの昆虫少年だった。暇があれば虫取りに行ってた。都会の中で育ったので日常見かけるムシは限られていた。

活動パターンはプロ野球選手と似ている。新学期が始まる四月になるころから活動開始して夏休みが山場になる。二学期が始まってからは秋の虫のシーズンでこれまた正念場。10月が過ぎると越冬に向かう幼虫やサナギ探しに行った。

野球の日本シリーズが終わるころには屋外活動は終了。それからは家にこもって来年に向けて昆虫図鑑や飼い方の本を読む。勉強が嫌いだったので宿題だけ済ませたら昆虫図鑑。ときどき外に出て木の皮をめくったり落ち葉をひっくり返すこともあったけれどおもしろいものが採れたた記憶はない。

2月に入ってプロ野球が暖かいところでキャンプに入るころ、こころがワクワクしてくる。浮き足立ちながら暖かくなるのを待っている。春一番が吹いて暖かくなり始めると外をウロウロし始める。少し早めに出たモンシロチョウが飛んでいることがあるからだ。

オフシーズンは外で活動できないので楽しくない。カレンダーを見ると2月4日、立春と書いてある。1月にカレンダーを見て立春を見たときは、後一月で春になるんだというような浮かれた気持ちになった。でも2月初旬は一番寒い時期。分かってはいるけれど、まだ二月じゃムシ出てこないよな、と落胆する。そしてプロ野球開幕に合わせるようにぼくが遊びほうける季節も開幕。小学校のころは毎年この繰り返しだった。

遊びほうけていた昆虫少年は高校入試を前にしてこのままじゃ昆虫学者になれないということに気がついた。進学先は有名な底辺校だった。入学当初はなんというところに来たのかと驚いたり悲しくなったりの連続だった。

当時お世話になった恩師が大学に行きたければ自分で努力せよ、学校に甘えるな、やるのは自分だと仰った。その言葉に救われる思いがした。

しかし現実は厳しかった。中学時代の遅れは並大抵のものじゃなかった、中一の前半に習った英語や数学が怪しい。いくら努力しても少しも前に進めない。途方もなく大きな山が立ちはだかっているようだった。

勉強を初めてから半年くらいはいくら努力しても全く前に進めそうに感じられないというのが正直な気持ちだった。できの良し悪しなどではなく、全くできそうな気がしない状態が続いた。永久にこのまま理解できないんじゃないだろうか?いつもそんな気持ちが強かった。

それでも昆虫学者になりたいという気持ちが強かったので最初の一年ほどは生活の全てを勉強に充てた。昆虫学者という夢のためにはなんのためらいもなく普通の高校生の生活を捨てることができた。
つづく
  1. 2013/10/27(日) 00:46:01|
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石の話

子供のころから石を集めるのが好きで今もその趣味が続いている。都会から田舎に来たのでなにかここでできそうなことはないかとさがしていた。石好きの会があったので入れてくれないかと尋ねてみた。英語はほとんどできません、とも。

で、恐る恐る集まりをのぞきに行ったのが2007年4月。年配の人が多いのと趣味の集まりなので(いまだに)なにを言っているのかがチンプンカンプンだった。これも慣れたせいである程度は理解できるようになった。こちらが慣れたというよりも他の会員さんたちがこっちの英語の聞けなさになれてゆっくり話してくれるようになったのが大きいと思う。

最初のころは知ってる石でも英語でなんか分からない。それでも何年間かするとよくありそうな石の名前はだいたい覚えた。

会員さんたちは筋金入りの石好きばかりで、個人のコレクションとは思えないような石を持っている。こっちは珍しいのでいろいろ聞きたくなるし向こうもそれに答えてくれる。

昨日、10月の集まりがあった。メキシコから出たメノウのビデを見た。その中に有名なやつが一つあった。
1957年に見つかったときの値段が$35。1997年には$1420000。$1=100円換算で一億4千二百万円。高さ9cmのメノウ。

映像では見にくかったので後から本を持ってる人に見せてもらった。カットした面のまん中にフクロウがいる。全く偶然にできた模様で、たまたまその位置で、その角度でカットしたらど真ん中にフクロウが出てきた。まさに絵に描いたような模様。

アメリカ人にはこういう自然にできた絵が好きな人が多い。単なる石ころを切ると中に染みこんだ金属が森林の絵のようになっていたりする。そういう石を小さな額に入れて絵のようにして集めている人がいる。とてもきれいな絵になっている。色のきれいな派手な石を好む人も多いけれど自然が偶然作った模様の人気も高い。

そういう影響なのか最近は拾ってきた石をボンヤリ眺めているのがいい。眺めながら頭の中でいろんな模様をボンヤリ考えているのだと思う。ただ家のあちこちに石を転がすので家族には迷惑がられている。
  1. 2013/10/26(土) 00:44:17|
  2. 自然
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となりの花

気がつけば日本を離れて10年以上経っている。毎日せわしなかったのでそんなに時間が経ったという気がしていなかった。

日本にいる知人の多くは「英語の中で10年も生活してすごいな」と思う人がいる。正しくいうと、知人の多くがそういう見方をしている。

でも実際にはすごくも何ともない。そりゃ日本で育った日本人が英語圏でニュース読んでるというのならこれはすごい。でも私のような生活だと慣れれば簡単なこと。

こう言っても、いやそんなこというけれどやっぱり海外で暮らすのは大変でしょ・・・と言われる。これは謙遜でもなんでもなく、日本で感じるほど海外で暮らすことは大変なことじゃない。

少なくとも今の時代だとインターネットが使えるので日本の情報も手に入るし、日本の友人ともメールで交流ができる。スカイプで話すこともできる。

ぼくは初めて英語を習ったのが中学校で、しかも40人ほどのクラスで39番になったことがある。いまだに苦手教科と言えば英語と答える。冗談でも嫌みでもなく英語に対するコンプレックスは並大抵なものではない。

公立中学の英語の試験で10点台をとるというのはその時の学習内容をほぼなにも理解していないということ。たまたま記号問題が当たったというのがぼくの成績。もし英語が人並みにできていればもう少し違った暮らしをしてたと思う。

かくいうぼく自身も日本にいるころには「○○さんは2年ほどアメリカに留学したことがあるらしい」なんて聞くと心底すごいなあ~と思っていた。まさにとなりの花は赤いを地でいっていた。

じゃあなんで生活できるのか?一つ前にも書いたように慣れです。

電車やバスで通勤や通学している人は毎日同じ駅で乗って同じ駅で降りる。車内放送やまわりの景色を聞くでもなく見るでもなくしているうちに、次ぎ降りる駅、と気がつく。そのとき車内放送を正確には聞いていない。

例えばいつも乗る電車で次は~&%#”&ョ~、と聞くと次は降りる「東京」だなとわかる。「&%#”&」この部分が聞こえなくても分かる。それは慣れ。

全く初めてのところに行ったっとき、ラッシュ時などに重なると車内放送がよく聞こえない。車内放送に注意しながら次の駅で駅名を確認して車内の路線図を確認する。これ普通に日本でやってました。

最初の数か月は確かに大変だった。でもそれが過ぎると普通にありそうな状況は経験しており、ぼくみたいにいまだに英語がちゃんと聞き取れなくても「~&%#”&ョ~」で「東京」だと理解できる。普通の生活はそれで事足りる。要はその生活になれるまでが大変で慣れればたいそうなものではないと言うこと。
  1. 2013/10/26(土) 00:15:13|
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スーパーのレジ

スーパーのレジで言われることは、支払う金額だと思ってた。アメリカに来て初めてスーパーで買い物したときに店員さんが何か言う、英会話の先生や教材のきれい話し方じゃないのでこちらは???

聞き返しても「&%$」3回聞き返してやっと分かった。袋の種類を尋ねてた、紙の袋かビニールの袋か?それ以降同じ場面だとよそ見していても理解できる。頭の中にそのときに聞こえるであろう音の候補ができたということ。だから向こうの言うことを「聞く」のではなく「照合する」作業をやってるだけ。

日本にいるときは意識したことがなかったけれど、日常生活で習慣化した行動では相手の話す言葉やまわりの景色の変化を正確には聞いていないし見てもいない。

いつも乗るバスで家の近くまで来た、次の交差点を右に曲がると降りるところ。いつもは車内放送もそこそこにしか聞いていない。

ところがその交差点を曲がったらいきなり山奥の未舗装道路になったら誰でも驚いて外の景色を凝視するはず。車内放送でも聞いたことのない地名が流れたら???となる。言葉や文化の違う社会で暮らすとき、最初のしばらくはこれと同じような状態が続いている。

言葉が聞こえないということ以上に習慣や常識の違いがストレスになる。私たちは日本社会の習慣や常識を知っているので大抵の場面ではほとんど無意識に反応できる。だから一言一句車内放送に注意もしないし、見慣れた景色をじっと観察もしない。

おもしろいどっきり番組があった。公園に簡易式トイレがいくつかおいてあった。アメリカではよくある光景。トイレを使いたい人は使用中でなければドアを開ける。

どっきりは、ドアを開けると中が広くなっていて会議中だった。開けた人は???という顔をしつつも会議の邪魔をして悪かったかなという表情。もう一つは若い女の子が裸でシャワー中、しかもそこにあるシャンプーを取れという。で開けた人は???な顔をしながらシャンプーをとってあげた。

アメリカで生活を始めたころはまさに毎日が「そのドアを開けるとその中にはなにがあるのか?」ストレスの連続だった。言われることも一言一句聞き漏らさないようにしないといけない。でも慣れると、いい加減にしか聞けなくてもだいたいはなんとかなるもの。
  1. 2013/10/26(土) 00:11:02|
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センス?

ぼくがときどき読ませてもらっているブログのひとつに非常にユニークな文章を書かれる方がいます。足跡が残るからだと思いますがここにも来て下さっています。ありがとうございます。

一言で言うと、ユニーク。ものの見方や表現がぼくにはとても真似できない。そういうセンスというのは理屈じゃなくてまさに感覚なんだというのがよくわかる。

日常のいろんなことに対する感性もその表現も自分には真似できないのでいつもうらやましく思ってます。そういう違う感性を持った人がとんでもなく立派に見えるのです。ちょっと残念なのはコメント欄を閉鎖されたことです。

自分で日常についてこういう形で書くようになるまでは、ブログといえば何かの専門家が情報を発信しているものを読むくらいでした。それが自分で何かを書くようになって、他の人の文章を読むことが多くなった。

そうやっていろいろな人の思いつきや日常の一端を見せてもらうことでこれまで考えなかったいろいろなことを考えるようになりました。特に日本人がほとんどいないアメリカの田舎町に住んでいるとインターネットが最大の日本語環境です。そのありがたさを痛感します。

人のブログを拝見していいなと思うのは食べ物の写真。難しい料理やお菓子を作ったなんていうのはもう雲の上のことで、駅前でうどん食べましたでも、コンビニのお弁当でもなんといい食生活なのかと思うものです。

これからもいろいろな人のブログをのぞきにいきたいなと思っています。荒らしませんのでコメント欄開けておいて下さい。
  1. 2013/10/18(金) 08:24:00|
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ストレス源(続編)

8月16日に書いた話しの続編。2時間前に聞き取りにくい電話がかかってきた。予定がどうのこうの、11月の・・・といってるので来月出席するある集まりの予定確認かと思っていたら、全然違う。裁判所への召喚状の配達。

少し説明するとこの国では小さな金額の金銭トラブルなどを短期間に解決するための裁判制度がある。その訴状の送達は郡保安官が直接手渡すことになっている。それを届けたいということだった。

今回は既に弁護士の先生にきちんとこちらの意思表示の(不当な請求は飲めないという)書面を送ってある。それから2ヶ月も経ってなんで今ごろという感じがしている。もう向こうもさすがに無茶なこと言ってという自覚もあっただろうから引っ込んだと思っていたので、まさに寝耳に水だった。

でも今回は弁護士の先生も決まっているのでこっちも主張すべき点は主張できるのでその点は安心している。最終的には裁判所の判断になるんでそこまではできる限りの準備をして向こうの主張に反論したい。

この相手である婆さんたちは何度もトラブルを起こして裁判所に行っている常習犯。過去に5回裁判所に行っている。私たちが住んでいた借家に限って言えば今回の分を含めて3回連続敷金で裁判所行きになっている。前の二回は敗訴と和解。この和解というのは婆さんたちにとっては事実上負けと言えるもの。

来週初めに弁護士の先生と打ち合わせをする。それまでに細かい情報を整理しておく。これはなかなかストレスの多い仕事。というのはありもしない請求についての反論なのでそのふざけた内容を見ているだけで不愉快になる。

日本で裁判というと敷居の高いものだけど、こっちでは少額訴訟のようなものは普通に利用されている。それは、例えば今回のケースでもそうだけど、当事者同士のものの見方や考え方が極端に違うことが多いため日本人同士のように、まあこのあたりでだいたいいいかな、とはなりにくいから。

双方が大まじめに違うことを主張することがよくある。日本では考えられないくらい、考えの基礎や背景が違うというのは珍しくない。だから訴訟大国と呼ばれるのも致し方ないとは思う。

もし日本のように訴訟の敷居が高ければ世の中の収拾がつかなくなってしまう。それはあまりにも多種多様な人種、文化背景の人たちが同居する社会だから共通理解が全くできないことよく起こるからである。さらに日本との決定的な違いは、根本の部分では人を信用しない、できない社会ということ。

なにかを作っても雑い、でもそれがまかり通っている。責任逃れのいいわけばかりするのは多い、日本人のように潔くというわけにはいかない。もちろん個人差が多いので全てには当てはまらないけれど、社会としてはそういう空気になっているのは間違いない。だからこそ問題が起こったときには法律という公の基準で判断するのがよいということ。

ただそういうことによる社会全体の被る経済的損失は大きい。身近で大きなものは医療裁判。敗訴すると莫大な賠償金を取られるのでその対応費も含めて私たちの医療費に乗っかかっている。もちろん医療過誤があれば追求されるべきではあるけれどこの国は医療に限らず難癖、イチャモンの類がいっぱいある。

それにしてもこういう審判を待つというのはあまり精神によくないというのがよく分かる。もちろんこちらはそんな訳の分からない請求を受ける覚えはないしこちらの主張が通るべきだと考えている。でももしこちらの主張が認められなければ・・・というマイナスの考えが頭をよぎったりもする。それこそ濡れ衣で不愉快極まりない。どちらにしてもこういうのはストレスになるのでよくない。

世の中には職業上(弁護士ではなく)多くの訴訟を抱えている人がいると思う。それを捌き続けるというのはやっぱりすごいもんだと思う。こういうのは経験してみて初めて分かることの一つだと思う。でももうこれで十分です。
  1. 2013/10/16(水) 06:03:04|
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車の広告

車の修理屋さんにオイル交換のために車を持っていった。そこは一見きたない店だけどとても親切で腕も確か。

車を預けてから職場まで送ってもらう。オーナーがいつも送ってくれるんだけどあいにく手が空いていなかったので10分ほど待合いで座っていた。ながめるとなく店内の広告?を見ていた。車の部品から「定期点検しましょう」のようなものまでなかなか親切。

その中でも光っていたのは、砂漠ような一本道で車が動かなくなった写真のポスター。写真の上側に「彼らはこれまでホースやベルト(エンジンの冷却の)についてなにも考えなかった。」で、(立ち往生している)下側に「いま彼らにはホースやベルトについて考える時間がたっぷりある。」

いかにもアメリカ人らしい発想で、しかもよくできている。あんまりよかったのでその場でメモした。いいポスター張ってるよな。

その他にも商品の宣伝はあるもののどれも安全運転、安全走行に関係するものばかり。オーナーの人柄がでていると思う。

オーナーは高校卒業後からこの仕事をしている。整備士の試験に合格して、さらに資格を更新しながら仕事を続けている。本物の職人さん。古いお客さんは38年前からの人もいるらしい。うちなんかまだ10年にもなっていない。とは言ってもずいぶん長くお世話になっている。

前の車のころからずっとお世話になっているので状況をよく分かってくれている。そろそろ、こっちの部品交換する時期だとか、これはしばらく大丈夫だとか。

今日は工場に古い車があったので聞いてみた。70年のカマロ、もう残ってるのが少ないと。で、ひとしきりカマロの話しを聞いた。で、他にももう一台古いのがあって65年のコルベットだと。朝には中に入っていたのが車を引き取りに行ったときに外に出してあったので見せてもらった。ほとんど元の部品でタイヤは古い細いものだと。確かに細いタイヤだった。

古い映画かドラマで見たスーパーカーのようだったけれど新品同様にきれいに手入れしてあった。お客さんの車のメンテナンス。あの口ぶりだと整備にも気合いが入ったと思う。
  1. 2013/10/12(土) 10:03:54|
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鼻炎

ここ何年か2月半ばになると洟とくしゃみに振り回される。花粉症がきつい。人によってはほとんど年中という人もいる。今の時期が特にきつい人、11月から次の春まで鼻を垂らしている人も知り合いにいる。

この2月3月の状態はかなりきついのでなんとかならないかと思っていた。2年前に帰国したときに耳鼻科、アレルギー科の先生に鼻の粘膜を焼いていただいた。特に痛くも何ともなかった。先生いわく、これは一時的なものなので来年の花粉の時期には粘膜が元に戻っているかもしれないとのことだった。

点鼻薬の処方も、海外に行ってもしばらく持つように多めに書いて下さった。穏やかな感じの親切な先生だった。

つい先日、ひょんなところからその先生と同じ姓をネット上で見つけた、特に珍しい名前ではないけれどそう多い名前でもなかったので目にとまった。

なんと禁止薬物使用で逮捕されていた。よくよく調べてみても、間違いなくその先生だった。痛み止めに使うモルヒネの乱用。

今思いだしても、とてもそんな人には思えないのでまだ半信半疑なくらいだ。有資格者はそういうものを日常的に扱えるのでついつい使ってしまったというところなのか。

日本でも薬物乱用が広がっているといわれているが、アメリカに比べると社会全体が薬物に対して厳しい。これは大切なこと。

マリファナはタバコほどの中毒性もなく害が少ないということを言う人がいる。そういうマリファナをよしとする人と話したことがある。彼の言い分は、タバコよりも害が少ない、モルヒネやコカインのように幻覚も見えない・・・、だった。ぼくが、でもここじゃ吸ってはいけないでしょというと。また害の低さを語り始めた。

私が言いたかったのは、ここの法律で禁止されているんだから吸っちゃいかんだろうということ。この手の人はとにかく害が少ないからということを壊れたレコードのように繰り返す。

仮にここの法律でコーヒーが禁止されているのであれば、その害の程度にかかわらず飲んじゃいけないの。有害性の程度はあなたの主観で決まるんじゃないし、偏った情報で決まるのでもない。然るべき専門家が科学的に検証することであるし、現在の法律の是非はマリファナの害の程度とは無関係。その話をリンクさせるのは筋違い。

これをそっくりそのままいうまで、止まらなかった、マリファナよりもメタンフェタミンのほうが・・・、タバコの中毒性は・・・と繰り返す。本当に困った人だと思った。
  1. 2013/10/12(土) 08:01:07|
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ついでに(食事ネタ)

食べ物がらみで思い出した話し。スーパーでのこと。

日本だとスーパーの野菜売り場で牛肉探してるんですがと尋ねたら、この向こう側ですとか、向こうにいる店員に尋ねて下さいとか何らかのきちんとした対応をしてくれる。それは売り場が違ってもみんなそのお店の一員だという自覚があるから。

アメリカでは田舎になると大手のWal-Martというのが幅を利かせている。これがなかなかの強者。コンシューマーズレポートという消費者向けにいろいろな商品や店に対する評価を書いた雑誌があって、このスーパーは接客:最低、商品:最低、値段:まあまあ、みたいな評価になっている(昨年夏に見たときは)。

確かに接客はひどい。何かについて尋ねても、担当じゃないから知らない。サービスカウンターで人が来るのを待っていても別の部署の職員は知らん顔して通り過ぎる。言い出したらキリがない。

で、食べ物の話し。きのうお菓子を買ってきて子供達が食べ始めた。「これ期限切れになってる~」「どれどれ、うわ~っ、8月20日って書いてある・・・」食べるのを止めて店に持っていったら「賞味期限切れてますね、返金しましょうか新しいのと交換しましょうか?」と。

少し古いとかいうのはありうるかと思っていたけれど、口に入るもので2ヶ月近く前に賞味期限切れって一体どんな商品管理してるの?これ日本のスーパーでやらかしたら大変なことになるんじゃないかな。

もちろんアメリカの流通業が全部こんなにデタラメだというんじゃない、ここは特別に接客や社員教育のできていないお店。だから別の街のきちんとした(といっても普通のレベル)の店で買い物すると、なんとここは接客態度が良いのかと感心してしまう。

今年になってから同じ市内に世界的に展開している食品関係のチェーン店がオープンした。オープニングセール的にしばらく大安売りして、一段落してからも品質、値段、サービスがどれもよい。小さなお店だけど連日大入り状態が続いている。

競争相手もいないとタカをくくっていたWal-Martがしばらくしてから、そこに対抗するように大幅値下げをし始めた。300円のものを50円で売るような値下げをやっている。新しい店は最初からその値段だった。どうも独自の仕入れと流通経路が確立しているようで食品に関してはなかなかうまい商売をしている。

Wal-Martが急に値下げというのはよほど売り上げが下がったんだと思う。現にうちはもう何ヶ月もWal-Martで食品を買っていない。同じような人が相当数いるんだと思う。

値段下げればお客が戻るという発想が笑えていい。さすがにこういうことに寛容なアメリカ人でもWal-Martというのは安かろう悪かろうだと知っている。流通の関係上、商品の質を上げることは難しいとしても社員教育くらいできるはず。驕れる者久しからずとは洋の東西を問わないようだ。
  1. 2013/10/11(金) 04:10:46|
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食事情

ここにいると日本は長い歴史の中で非常に繊細な食文化を作り上げてきたんだと感じることが多い。何度も飢饉に遭い、食べられそうなものはなんでも、どうにかして食べようと工夫したんだろうと思う。必要に迫られて工夫したり、一見食べられそうもないものを食べる努力もしたんだと思う。子供のころからとにかく食べ物を大切にしなさいとよく言われた。

小さいときには好き嫌いもあるけれどうちの家庭では一切許されなかった。おかげで大抵のものは食べられる。でもアメリカのジャンクフードは内情を聞くととてもじゃないけれど食べられない。厨房が不衛生だとかいう生やさしいもんじゃない。

ここらでは周知事実なので実名で書くと、マクドナルド。子供の友達が近所のマクドナルドでアルバイトしてる。基本的にはジャンクフードでもなんでもOKの典型的なアメリカ人。でも彼は昼食時間に仕事がかかるときは家から弁当を持っていっている。持参の昼食を食べている姿を想像すると笑える。それくらい彼には似合わない。

その話しを聞いただけでこちらは、厨房の実態は凄まじいことになっているんだろうと思った。実際に聞いてみると厨房中でのことについては守秘義務があって言えないことがあるらしい。

フレンチフライはイモを使っている(当たり前のはずだけど)、でも揚げる前にどういう処理をしているかは言えない。で、商品はちょっとやそっとじゃ腐らない。(これはyoutubeにそういう実験をしたビデオがあるとのこと)。

ハンバーガーは肉を使っている(これも当たり前だろ!)、ピンクスライムを使っている、これも言えるらしい。でもそれ以上にどんな処理をしているかは言えないらしい。ピンクスライムは一昨年くらいに騒ぎになったのでてっきり止めたと思っていたけれど・・・

よほど固く口止めされているのだろうけど、とても言えないようなことをやっているらしい。他のチェーン店のハンバーガー店で働いている子によるとその店は、自前の牧場を持っているので肉関係は「とんでもないことには」なっていないらしい。でもあまり聞きたくなような状況に変わりはないらしい。

どちらの店にも共通しているのは、店員のいい加減さ。落とした商品でも見えなければ出すらしい。まあありそうな話しだとは思うけれど実際に聞くと気分の良いことではない。

マクドナルドは過去に2回行ったことがある。なぜ2回だけかというと食べてしばらくして次男が戻したから。一度目は少し風邪気味だったので体調が悪かったかと思った。忘れたころに行ったらまた戻したのでそれ以来行っていない。以来次男はマクドナルド恐怖症になってしまった。

ちなみに次男は体が大きくてフットボールをやっているいわゆるマッチョ系。でも食べ物の中の「なにか」にかなり敏感に反応する。逆に長男は細長いので弱いかと思いきやなにを食べてもへっちゃら。ジャンクフードでもなんでもこい。意外にも見かけで頑丈そうな方がデリケート。

厨房の事情を聞いたのはつい最近。あれから行ってなくて良かった、というのが正直な感想。
  1. 2013/10/11(金) 02:18:46|
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上品と下品

同じ言語でも地域によってアクセントから使う単語までかなりの違いがある(らしい)、方言のこと。

生粋の東京生まれの人に私の使う方言の中でもいくつかの単語について、それはその地域独特の言い回しだと教えてもらった。さらに他の単語や言い回しについても質問したところ、意味は分かるけど使わないというのが結構あった。なかにはそれなんですか?と全く意味を理解してもらえないものまであった。

狭い日本の中で、しかもこんなに情報が行き来する時代なのにこういうことがあるのには驚いた。このケースだと日本人同士で日本語で会話しているのでほとんどお互いの話す内容を理解できる。ところが外国語でこの問題にでくわすと大変なことになる。

アメリカ人で東の上の方の出身の子がいて、日本で仕事をしていたときは日常会話には困らない程度の会話ができた。ところが少し年上のある人の話すことはほとんど理解できないといってた。その人は非常に明瞭に話す人だったので、話しが聞きやすくていいと思っていたのだけど、外国人の彼にとってはチンプンカンプンだったらしい。

違いはアクセントと切る位置のようだった。その人は少し訛りが強めだったが発音明瞭だった。そのちょっとしたアクセントの違いで一気に話す内容が意味不明になったらしい。その時はそんなもんなんだというくらいにしか考えていなかった。まさか自分も同じ経験するとは夢にも思っていなかった。

英語なんてどこへ行っても聞き取れないのは同じだとタカをくくっていたのが引っ越して住む地域が大きく変わったら、もともと訳の分からない状態だったのが、なにも分からない状態にまでなってしまった。最初はバカになってしまったのかと思うほどだった。

それからアクセントの違いで聞こえなくなった話しを思い出した。アクセントも違う、でもこの地域では口ごもるので音が口から外に出ない人が多い。地元の友人に聞いてみると、怠け者だと。

この地域(の人?言葉?)は「怠け者」なのできちんと明瞭に発音したり、口を十分に開けて音を外へ出すという労力を省略しているということらしい。そういう方言なので聞き取りにくいのは本人たちにも理解できるらしい。

話すと聞くはセットになっている。彼らはその「怠け者英語」を聞き慣れているので、耳は「怠け者英語用」になっているらしい。日本人の耳は一つ一つの音を区切る日本語に慣れているので、一続きで流れる英語を聞くのは一苦労だ(少なくとも私は)。同じように彼らはきれいな英語が苦手らしい。

あるとき英語の本家本元であるイギリス人が流暢な英語を話したときに、あの人の英語はなに言ってるのか聞き取りにくくて困るという笑うに笑えないことが実際にあったらしい。

そういう「怠け者」な方言はどうもアメリカ人一般にとってもおもしろく聞こえるらしい。というのは少し前に子供に人気のあった、車たちが主人公のCars映画の中のある車の話す言葉がまさにこのエリアの訛りだった。彼の設定は少しマヌケなイナカモノだった。話す内容よりもそのことに気づいたことがこちらにとっては大笑いだった。
  1. 2013/10/06(日) 09:45:56|
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食事ネタ

何年も前のこと。当時住んでいたところの近所に敬虔なイスラム教徒の家族がいた。子供達はうちの子供とよく遊んでいたのでしょっちゅう家に来ていた。

昼食に日本製のチキンラーメンを食べた。その子達が、それなに?、チキンのめん、とそのまま返答。おいしい?おいしいよ。ポークは食べられないよな?入ってない?入ってないよ。

で少し食べることになった。チキンラーメンがえらく気に入ってしまったようでしばらくしてから、またあのメン食べさせて、と。

ところがチキンラーメンがなかったのでどこにでもあるようなシーフード味のラーメンでどうか?と。ポークじゃないならいい、と。

で、またまた大満足で家に帰った。

後になって少し気になってラーメンの袋を確認したら、シーフードエキス、・・・、ポークエキス・・・、とあった!そのラーメンはシーフード風味だけど味付けにいろいろなものが入っていた。以来、その子達への昼食ラーメンのサービスはなくなった。

宗教上の理由で生活に制限のある人にはやはり気を遣ってしまう。好き嫌いじゃなく真剣に戒律に従おうとしているからこちらもまじめに対応することになる。そういうことにかなり自由な(自称敬虔な)仏教徒としてはとまどってしまうことも多い。

その話しを5年以上経ってから全く別のイスラム教徒の人に話したら、驚いたけれど、大笑いしてくれた。いわく、その場合は誰も知らなかったので問題ないとのこと。一安心。
  1. 2013/10/04(金) 05:59:50|
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好き嫌い?

日本ではお目にかかったことがなかったけれど食事が気になる人がいる。宗教上の理由「以外」で食べるものと食べないものを区別している人。わかりやすい言葉で言うとベジタリアンのような人たち。

よく聞いてみるといろんな種類の人がいる。動物由来のものは一切口にしない人から動物の肉は食べない、魚も食べない、でも乳製品は食べる、魚は食べる、・・・などなどいろいろいる。

そういうことを知らないときに、○○さんはベジタリアンだと聞いて痩せている姿を想像したら栄養状態がよすぎる人だった。とにかく甘いもの大好きでケーキやお菓子をよく食べる、食べる。

ベジタリアンだと乳製品は食べないんじゃ?と尋ねると「私は肉は食べないけど乳製品は食べるベジタリアン」だと。肉は食べていないけれど栄養状態は良すぎる。

完全に植物由来のものしか食べない人もいる。聞いてみると食べ物については一家言がある。でも食についていろいろなことを生活の中で覚えてきた日本人としては、その理屈は本の聞きかじりにすぎないと思うことも多い。本人がよいと思ってやっているので大きなお世話なんだろうけど、そりゃ不健康やろと思う習慣がいっぱいある。

例えば、蜂蜜は体によいと思いこんでいるので何かあるとじゃぶじゃぶ蜂蜜を入れる。そんなに入れると糖尿病になると思うほど入れる。見てる方が気持ち悪くなるほど入れる。

食品添加物が気になるとしきりにいう、あれは○○に良くない、それは××に良くない、だから食べない。でもその割には外食が多い。アメリカの外食産業なんてなにが入ってるか分からない。ぼくたちは外食するときはそれもしょうがないと分かった上で食べる。

日本で育って特に栄養や食について体系的に勉強したことはない。それでもどういう食事が健康的でどういうのが不健康だというのは感覚的に理解している(つもり)。これは社会全体にそういう知恵があるので知らず知らずのうちに覚えているということ。日本で育つと特に勉強しなくても日本語を覚えるようなもの。

そういう長い歴史の中で生き残った知恵と生活の中で身に付いた食に対する感覚を持ち合わせずに、いろいろな話しの継ぎ接ぎで食事に気を遣っている人がこのまわりには結構な数いる。

こちらから見ると矛盾だらけのことでも本人はまじめにやっているのでちゃかしたりはしない。でもどう見ても小さな子供の好き嫌いと選ぶところがないように思えてしまう。なにが彼/彼女達をそういう方向に走らせるのだろうか。
  1. 2013/10/03(木) 08:10:40|
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せみ

10月に入ったのにまだセミが鳴いている。これはこの地域でも普通じゃない。一ヶ月前と比べると随分減ったけれどまだ鳴いている。

今年は夏の前半が低温で後半が例年以上だったという(ここにしては)過ごしやすい夏だったのでそういうことと関係していると思う。これは蛍が9月に入っても飛んでいたのと同じ、昆虫の時期はずれ現象だと思う。

おととい、正確には9/30に趣味の集まりに行った。人数に割に部屋が狭くて古いエアコンの効きも悪くて中は暑かった。そのエアコン効いてない?ほとんど効いてない。という会話が出たくらいに効いてなかった。

省エネや節電なんて感覚のない世界なので冷房はガンガンかかっているのが普通。職場にはいつも冬の初めくらいに着る長袖の上着を置いてある。外は45℃になっていても、屋内では長袖という絵に描いたような無駄遣い。もちろん各部屋での調整はできない。

集まりの最中、蒸し暑いなと思っているすぐ外の木でミンミンゼミがこれでもかと言うほどの勢いで鳴いていた。ミンミンゼミは日本では少し山手にいるセミだけどこのあたりは平地にも普通にいる。

夏のアイスクリームなんかのCMに流れているミ~~ン、ミン、ミン、ミ~~ンといういかにも夏という鳴き声。一瞬一体今何月なんだと分からなくなってしまった。
  1. 2013/10/02(水) 21:53:07|
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どうでもよい会話

わかりにくくてごめんなさい、でも実話です。

A:最近こんな話しがあるのをみつけたんだけど。

B:うん。

A:これおもしろいんだけど、ここの話しが途中で途切れててそこがちょっとね~。

B:(後ろの方を開いて)ここにあるよ。

A:そうか~気がつかなかったな~、それにしても読んでないのによく知ってるよな。

B:ネタ元は私ですから。
  1. 2013/10/02(水) 01:46:14|
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おもしろいひと

  とつぜん横に来てなにか話し始めた。何ごとかと聞いてみるとある会社の商品をちょっと無理な使い方で使ったら壊れてしまったと。セールスマンはそういう使い方でも大丈夫ですと言ったらしい。

彼は年配のchineseでこのあたりじゃ知られた問題児で、あちこちをたらい回しにされてお隣さんに流れ着いた人。仕事は恐ろしく雑い、机の上はひっくりがえしたおもちゃ箱、周りの人の机から勝手にいろいろなものを持っていく。これは聞きしにまさる強者というのはすぐにわかった。

彼の上司は気のいいアメリカ人で、個人的には好きだけど仕事上は少し間が抜けたところがある。人の良さのためか、先輩から押しつけられるように彼を引き取らされたというのが真相。

隣りに来て早々にこちらまで遠征してきてゴソゴソやってる。ここはあなたのところじゃないから私の許可なく勝手にいろいろなものを触らないようにと直接注意した。つぎはコソコソやってたんで、となりの親方に直接、ご指導よろしくお願いします、と。

以来、ぼくは彼の何人かの部下から(大変)煙たがられるようになった。そのおじさんはその代表各。ところがその彼がわざわざこっちまで来て話しかけてきた。一体何ごとか。

例えば大安売りしているペンをまとめ買いすると品質にいくらか問題のあるというのはここらでは普通にあること。で、彼が業者に確かめたという製品もぼくははなからたいして信用していなかった。かくいうぼくもこのおじさんと似たような経験をしたことがあった。

この憤懣やるかたない?おじさんには、バルク買いしたものはあてにしても騙されることがあるから信用しちゃいけない。さらにセールスマンは自分が売ってる商品の通常以外の用途に対する耐久性なんか理解してないよ。少なくともここに来てる子達は口先だけで話にもならないから、とも。まあそこまでお怒りになるほどのことではないと思うものの、おじさんはお怒りだった。

このおじさん、どうも感情の変化がある大きさを超えるとこういう反応をするらしい。その、驚いたこと、怒りの理由になったことをほとんど聞き取れない早口で繰り返す。一息つくまではこちらのいうことはなにも聞かない。2分くらいテープのメッセージを聞くような感じ。その後で、こちらのいいたいことを言う。

 あてにならないことが何度かあったのでそこのセールスマンは相手にしないようにした。ミニスカートをはいてペンキ塗り立て注意!みたいな化粧した女の子がこの周辺の担当者。身なりをとやかく言うつもりはないけれど他社のセールスマンの女の子はあんなふざけた格好では来ない。いかにもな格好で売り込みにくるのを不快に思っているのはぼくだけではない。ある人いわく、あれ昼間に仕事に行く格好じゃなくてバーにでも行く格好ですね,それが評価。
 
 じゃあなぜそんな商品を買うのか?個人でなら買わないけれど職場でバルク買いして使うにはまあ問題はないというレベルのボールペン。それを1本5円で売っていたらまとめて買うというような感じ。でもそのペンで重要な書類にサインしちゃいけないし用途を考えないとおじさんのように怒ることになってしまう。
  1. 2013/10/02(水) 01:34:56|
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